瞽女瞽女_
Nữ kiếm sĩ mù Ichi
http://www.youtube.com/watch?v=N-2w_PrblJQ&feature=player_embedded
『
TBS映画『ICHI』
http://www.tbs.co.jp/movie/ichi/index-j.html
その女、座頭市。『ICHI』
「座頭市」が、女になって生まれ変わる。
日本を代表する名作時代劇「座頭市」。
盲目の逆手居合い斬りの達人を勝新太郎が演じて、熱狂的な人気を集めたTVシリーズや映画は、現在でも世界各国で放送されている。
まさに日本が世界に誇るダークヒーローだ。
近年では、海外でも高く評価された北野武監督・主演の『座頭市』も話題を集めた。
強烈な個性を放つふたりの座頭市に続く3代目は、なんと女。
それも、2008年には映画『僕の彼女はサイボーグ』『ザ・マジックアワー』などの話題作に立て続けに出演し、ドラマ、CMでも活躍、時代の顔となった綾瀬はるかだ。
透明感のある美しさが魅力的な彼女が優しい笑顔を封印、他人に背を向けて生きる市になりきった。
しかし、今回の座頭市の最大の見どころは、強さだけではない。
座頭市を女性にすることによって、従来の作品では描かれていなかった主人公の内面に、初めて焦点をあてたのだ。
悲しみと絶望を抱えて投げやりに生きてきた市が、愛に目覚め、本当の強さとは何かを知っていく過程を描くことで、殺伐とした現代を生きる私たちが共感できる、新たなる座頭市が生まれた。
ストーリー
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たったひとりで旅を続ける市(綾瀬はるか)は、同じ盲目の女がチンピラたちに襲われていても、助けるそぶりすら見せない。
そこへ現れたのは、藤平十馬(大沢たかお)。
市にも襲いかかろうとするチンピラたちの前に、勢いよく立ちはだかったものの、手が震え、戦うどころか、刀を抜くことさえできない。
返り討ちにされそうになった瞬間、男たちを斬り殺したのは、市。
か弱く見える市は、十馬の助けなどいらないくらい強かった。
迷惑顔の市に話しかけながら、十馬が後をついてくる。
誰にも関わりたくない市と、誰かに関わりたくて仕方のない十馬。
まったく正反対のふたりは、やがて、万鬼党というチンピラたちに荒らされている町にたどり着く。
またしても厄介ごとに首を突っ込もうとするおせっかいな十馬。
しかし、そんなふたりに、仮面の男・万鬼(中村獅童)が残虐な牙を剥く。
ふたりを待ち受けていたのは、命をかけなければ乗り越えられないほどのあまりにも過酷な運命だった。
http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/?frompromo=movies_comingsoon_ichi
』
座頭市といえば勝新太郎。
そして金髪の座頭市、ビートたけし。
勝新の座頭市というのはどちらかというと好みでなかった。
ビートたけしの座頭市は「おお!」と気に入った。
そして今度は綾瀬はるかの座頭市。
これはすごい、すばらしい。
綾瀬はるかにこんな演技ができるのかと感心してしまった。
Wikipediaには
「ICHI(2008年、ワーナー・ブラザース映画) - 主演・市 役」
とあるだけ。
はじめに「原作 子母沢寛」と表示されたので、座頭市というのは子母沢寛が書いた小説なんだ、と知った。
男は座頭だが、女は瞽女(ごぜ)である。
『
Wikipediaから
瞽女(ごぜ)とは、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者。
近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。
女盲目(おんなめくら)と呼ばれる場合もある。
』
通常、瞽女はグループで行動するが、そこから追放されたのが「離れごぜ」。
女性の盲が一人で旅をしながら生きていくことは、通常の思考では考えられない。
でも、生きていかねばならない。
そしてその大半は、旅先でのたれ死ぬという。
人生をまっとうすることはほとんどない。
已む得ないだろう。
「離れごぜ」について知ったのは、水上勉の『はなれ瞽女おりん』を読んでからである。
どう考えても、壮絶な人生であるはずなのに水上勉はえらく明るく描いていた。
ほんとかいな?
と疑ったほど。
今回、その「はなれ瞽女おりん」を検索してみたら、なんと最初にでてきたのは岩下志麻主演の映画であった。
この映画をyoutubeでさがしたのだが、ちょっと見つからない。
1977年の作品というから今から35年も前になる。
DVDは出ている。
『
はなれ瞽女おりん (はなれ ごぜ おりん)
監督: 篠田正浩. 原作:水上 勉
CAST: 岩下志麻, " Shima Iwashita" 原田芳雄
歌;坂本冬美 夜叉海峡
越後地方では、三味線を弾きながら旅し、家から家へ巡り、流行り歌や物語歌を歌う瞽女さんという盲目の女性達がいました。
宴席に呼ばれ、歌を披露することも多かった。
この集団には掟があって、一身は阿弥陀様に捧げているので男と性関係を持ってはいけないことで、掟を破ると夜叉の住む地獄に落ちる、そして集団から離され伝手もなく一人で回らないといけなくなるのです。
福井県小浜で生まれた、おりんは幼くして盲目で両親と別れ祖母だけとなった、現在の上越市(高田)に連れて行かれ瞽女の修行をして、一人前になる。
しかし、女の業か、美貌ゆえに言い寄る男に抗し難く体を許す。
離れ瞽女となって宿もない旅を続けた。
やがて脱走兵の岩渕平太郎と出会い一緒に旅を続け小浜にたどり着く。
しかしそれも最後を迎える。
』
映画が見つかったので載せておきます。
ただこれ中国発のもので、版権がどうなっているのかはわかりません。。
もちろん中身は日本語であるが、著作権なんかの理由で消される可能性もあるので、あらかじめ断っておきます。
『
【はなれ瞽女おりん】
视频: 经典电影 日本电影大师筱田正浩伦理片《孤苦盲女阿玲》
http://v.youku.com/v_show/id_XMTgwODAyMDky.html
』
『ICHI』に戻ると綾瀬はるかが美しいだけにすごみがある。
ちょうど昔の藤純子の『緋牡丹お竜』みたいなものだ。
ということは『離れごぜお市』でシリーズ化してもいいと思うが。
2008年の作品ということは、この4年、そういう動きはなかったということになる。
これからもないということであろうか、至極残念である。
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その後
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ダンボール箱を漁っていたらでてきたのが、水上勉著『はなれ瞽女おりん』の文庫本。
みてわかるように少々ボロボロ。
おそらく十年近くなるだろう、古本屋で見つけて買ったもの。
セロテープと木工ボンドでおおがかりに補修して元通りの姿にした。
しばらく、棚においてあったが、1,2年ほどしてかな読んだ。
それがまだダンボール箱の底に残っていたとは驚き。
通常ならゴミとして捨てているはずだが。
後ろの解説に水上勉の言葉が2編載っている。
コピーしてみる。
文中にある<中略>はそのまま載せておく。
『
『はなれ瞽女おりん』は、私の祖母の思い出を、越前高田にのこる瞽女屋敷の人々に重ねて一篇の物語としたものである。
<中略>
私の祖母も全盲だったし、よく、むらの阿弥陀堂に来て宿泊していく盲目の物貰いの姿は、少年時に目撃した。
<中略>
この堂の横に、恵林地蔵がある。
古老の話だと、りんという盲目の女が、三味線をもって堂に住まうようになり、むらの粗暴な男たちに弄ばれて子を生んだという。
りんは、その後、堂を住まいにして村の女たちに三味線を教えたが、一日、寒い日に死んだ。
子はどこかへ姿を消した。
恵林地蔵は、その盲目の母親の霊を村人が弔ったものである。
私は、この地蔵を少年時代から見てきて、古老たちの話してくれるその盲目の生に、物悲しいものをおぼえて、村に帰るたびに荒廃した阿弥陀堂に詣でた。
<中略>
若狭のりんに「恵」の一字が冠されてある地蔵の秘話を解く人はもういないが、この一篇の物語は、私の勝手な空想とはいえ、在所もあかさずに死んだ盲女への鎮魂歌である。
もっとも賤しいとされる盲目芸人の生涯を追っていたら、ふと、こういう人たちのことを「野の聖」というのではないかと思った。
説教節を語りながら、男たちのなぐさみ者に甘んじて生きた盲女たち。
彼女たちは、その在処の景色も、父母兄弟姉妹の姿も見ていない。
闇を生きたのである。
』
『
高田が瞽女の里になって、トラベルマップに登場しているのを見ながら、私は、この国に流寓した親鸞が、愚禿となって民衆の中に降りてゆくこと以外に、求法の道はないとした苦悩を重ねてみる。
人は人の苦痛の上にあぐらをかいて生きるものだという思いを深めるのである。
瞽女の存在はつまり、そういう人間の根源を問い詰める闇をもっているように思う。
<中略>
同じような盲女を祖母にもち、生家の近くで死んだおりんの墓に、村の連中が欠かさず花を捧げていたことを知っていたからである。
行政の末端である役場も、民衆救済をたてまえとする寺院も、旅の途中で野垂れ死んだ盲女に、なんの手もつくさず、埋葬回向したのが貧農の群れ自身であったということだ。
』
これから、読みなおしてみようと思っている。
【しょうしょう、お時間を】
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